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新宿高校野球部員を前にキャッチボールをするイチロー=2022年11月27日、東京都新宿区の新宿高校、代表撮影
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 1979年の第61回全国高校野球選手権東東京大会の準々決勝。硬式野球部の主将だった宇治弘晃(62、80年卒)は、神宮球場全体が異様な熱気に包まれていたのを覚えている。新宿高校はこの夏、初めてベスト8に進出。全校応援に近いかたちで、生徒らがスタンドを埋め尽くしていた。

 初戦はライバル校の戸山に5点差をひっくり返して逆転勝ち。4回戦では岩倉を延長十四回の末、3―2で制した。準々決勝の関東一高戦も、1―2のサヨナラ負けという壮絶な試合。朝日新聞都内版には「無念“都立の星”消ゆ」という記事が載った。93年にもベスト8に進出、甲子園が近づいた母校に同窓会も沸いた。

 宇治によると、当時の練習は週3回で2時間半。フリーバッティングは「1人5振り」。見逃しもファウルも1振りに入る。宇治はこう語る。「(全国大会優勝の)1校以外の学校は必ず負ける。高校野球をやった人間は、最後の試合に何かしら後悔が残り、それを背負いながら生きていくしかない」。大学卒業後に入社した味の素では、ベトナムやインド、エジプトに赴任。経済状況も文化も違う土地で、必死に商品を売り歩いた。

【連載】高校思い出クリック ~青春群像記~

高校をシリーズで紹介する企画。坂本龍一ら著名な卒業生も多い東京都立新宿高校の5回目は、元メジャーリーガーのイチローの指導も受けた野球部をめぐる物語です。

 新宿高校野球部は、プロ野球…

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